海外社会貢献者からのメッセージ
Q. 世界を活動の場とする社会貢献者にとって、この国はどのような場所ですか?
フィジーは南太平洋の島国で、日本から約7,311㎞。オーストラリアの東側、ニュージーランドの北側に位置しています。
近隣の南太平洋の島国、トンガやサモア、ツバルなどと比べると、人口や本島のサイズが大きく、山がある島も多いです。本島の中央部には1,000メートル級の山がいくつもあります。
フィジーはパプアニューギニアと並ぶ南太平洋の島国のリーダーです。
2つの大きな島、ビティレブ島(Viti Levu)とバヌアレブ島(Vanua Levu)に多くの人が住んでいます。
ビティレブ島は広さも人口もフィジー最大の島で、島の西部にはナンディ国際空港や多数の観光リゾート、東部には人口の多い首都スバがあります。
面積は10,388㎢、日本の都道府県だと兵庫県と大阪府を足したよりちょっと大きいくらいです。私は一度車で島一周しましたが、合計10時間くらいかかりました(途中1泊)。内陸の都市部に住むと島暮らしの感じはしないかもしれません。
バヌアレブ島はビティレブ島の北にあるフィジー第2の島で、大型フェリーや国内線飛行機で行くことができます。農業がメインの産業です。
フィジー経済を支える産業は、観光業や輸出(砂糖、ショウガ、繊維、飲料水、マグロ、化粧品)などです。
2021年現在、コロナウィルスのパンデミックのために観光業が大打撃を受け、国の収入はパンデミック前と比べると20%台まで落ち込んでいます。
またコロナ禍にも関わらず、2020年の4月と12月はカテゴリー5の巨大サイクロンが2つもフィジーを直撃し、甚大な被害が出ました。
観光客のいなくなったリゾートは倒産したり、泥棒に入られて室内のものがどんどん盗まれたりしても、収入ゼロで予算がなく補修できず台風で壊れたまま、というところもあります。
ただでさえ仕事が少ない国なのに失業者がさらに増えています。コロナ後の復興が待たれるところですが、どうなるでしょうか。
フィジーは公用語が英語なので、海外からのボランティアは言語面でのハードルが低いと思います。私は観光業で働いていましたが、フィジーには保健衛生、看護、医療、獣医、教育、農業の支援に携わっている外国人がいます。
文化
Q. 現地の人々の気質や考え方にはどんな傾向がありますか?
フィジーは多民族国家です。一般的に太平洋の小さな島国は3つのグループに分けられます。
・ミクロネシア(赤道以北のマリアナ、カロリン、マーシャル、キリバス、ミクロネシア連邦)
・ポリネシア(ハワイ、ニュージーランド、ツバル、サモア、トンガ、クック諸島、ニウエ、トカラウ、タヒチなどフレンチポリネシア、イースター島)
・メラネシア(バヌアツ、ソロモン諸島、ニューカレドニア、パプアニューギニア、フィジー)
そして、以下がフィジーでの人種構成です。
【メラネシア系先住民族】
フィジーの人種のなかで一番多いのはメラネシア系です。約56%は先住民のメラネシア系(以下、イータウケイ)、約37.5%はサトウキビ産業の発展に伴ってやってきたインド人の子孫(ネパール人も多少)、白人1.7%。そのほかにポリネシア系、ミクロネシア系、中国系、ソロモン系、バヌアツ系などがいます。混血も多いです。
現在、フィジーではどんな人種でもフィジー人と呼ぼうという政策がなされており、先住民はイータウケイ(もしくは Indigenous Fijian) 、インド系は Indo-Fijian と呼ばれています。
第二次世界大戦時、イータウケイの男性達が兵役徴集され、日本軍と戦うためにソロモン諸島に連れていかれ、フィジーにしばらくいなかったため、インド系が一時イータウケイより多くなった時期がありました。
インド系は、フィジーはもともと自分たちの国ではないから、と戦争に参加しませんでした。
現在はインド系の海外再移住が進み、イータウケイが一番多くなっていますので、フィジーの人種構成は刻々と変わると思います。
イータウケイは「村」という共同体で生まれ育つので、村社会や部族意識を大切にする人が多く、初めて出会った人にはビジネスの場でもまずどこ出身なのかを尋ね、同族だと待遇が変わったりします。
イータウケイの出生証明書には、どこの地方のどの氏族でどの村の出身なのかが詳しく書かれています。都会で生まれ育ったイータウケイは親の氏族に従った情報が書かれます。
村というのは家が立ち並ぶ集落で、家と家との間に壁やフェンスはありません。一昔前までは藁の家でしたが、今は木造やトタンの家、そしてちょっと裕福な村だとコンクリートの家です。
村長や村長の代弁者、村のキリスト教会の司祭が権威を持っており、村人は定期的に上納金を納めています。村を外部者が訪れる際は、法律上は必要ありませんが、敬意をもって村長から訪問の許可を得るように挨拶するのが習わしです。
イータウケイの労働感覚は日本とかなり異なります。
餓死するような冬がない気候、お腹がすいたらココナッツをとり、自分の土地からなにか収穫し、働かなくても家族や親せきに頼ればいい。
自給自足で生きられるそんな村のイータウケイは、「人に雇われて労働する」という概念自体が、ヨーロッパ人が来るまでありませんでした。
人生の中で人に雇われた経験がない人がいまだにいます。そのため(すべての人とは限りませんが)、雇用されても継続して精一杯働いたりできず、仕事に遅れたり、来なくなってしまったり、約束事を守らなかったりすることがあります。また、日本人の目からすると厳しい労働ではないのに、仕事が厳しすぎると思われることもあります。
時々同じ職場でずっと真面目に長年働いている切れ者のイータウケイがいますが、彼らは地元出身者ではなく、別の貧しい地方からの出稼ぎだったり、国内の専門学校や大学または海外で学んできた向上心のある人だったりします。
時間や約束事についてもかなりおおらかです。私は、期待するから失望があるので、最初から大して期待して待っていなければいいのだと悟りの境地になったこともありました。(約束時間についてですが、田舎の人はもともと時計を持っていない場合もあります。)
よく「フィジータイム」という言葉が使われます。遅れて来る時に、遅れたってフィジータイムだからOK、という意味で使われることがほとんどですが、バスが定刻より早く来て早く出発してしまう時もフィジータイムです。
このように約束事はきちっとしていない、おおらかで時間がきちっとしていなくていい加減でもいいじゃないか、というフィジーのお国柄を示すのがフィジータイムです。
イータウケイの気質はフィジーの土地問題にも深くかかわっています。
フィジーの土地は3つのタイプがあります。ネイティブランド(native land:82%)とクラウンランド(crown land 国有地、海岸線を含む)、そしてフリーホールド(freehold 私有地)です。
ネイティブランド(部族の土地)は、イータウケイ所有の土地です。白人に土地を奪われて厳しい状態にある他国の先住民族(ニュージーランドやオーストラリア、アメリカ)の二の舞にならないように、1882年に制定された法律で売買できないようにされています。売買はできない代わりに99年リースで他人に貸すことはできます。
私有地やクラウンランドは法律制定前に売買された土地です。
現在、イータウケイはネイティブランドを代々相続によって引き継いでもらっています。法律ができた当時はイータウケイ保護の、土地の搾取を防ぐことが永久にできる素晴らしい法律のように思えました。
ところが、今はこれがフィジー経済発展の大きな足かせとなっています。
イータウケイは、「自分は土地をもっている!This is my land!」 という驕りがあります。
「フィジーは緑豊かな手つかずの自然がいっぱい!」と観光客の目に魅力的に映るのは、実は土地を有効活用できないことの証拠であり、ビジネスを始めたい人や土地を借りるほうにとってはたまったものではないことが起きているからなのです。
自分の土地に胡坐をかいて土地を有効利用しないから、ジャングルになるまで手入れをせずに放置している地主がいたり、急に家賃を上げたり、無理難題をたきつけて借りた人を追い出したり。
政府の役人もイータウケイですので、役所の土地登記手続きが何年もなかか進まない、圧倒的に借りた人に不条理な契約書、強制的に地主の教育費やその他を寄付しろ、などあれやこれ難癖をつけて金銭を要求する不正も起きています。
リゾート用地を確保したいが、地主が複数人で、その中の1人が急に「なんとなく貸したくないから」と言い出したら大変です。全員からの同意がもらえないので計画が白紙に戻ることもあります。
やっと開業できても地主の関係者を雇わなければならなくて、それがとんでもなくやっかいだったりします。
フィジーは、この土地問題を背景としたインド系との確執ゆえに、1987年から現在までイータウケイのクーデターが4回、軍の反乱が1回ありました。
そのため、海外投資家がなかなかフィジーに投資できないし、投資しても撤退してしまいます。またインド系の住民はどんどんフィジーに見切りをつけて海外に再移住しています。フィジーのビジネスは重い岩を動かすようなものなのです。
【インド系】
次にインド系がなぜフィジーに多いかについてです。フィジーは欧米諸国からの脅威を避けるため、イギリスに保護をもとめ、約20年の猶予ののち、1874年にイギリス領となりました。
ですから、武力で征服されてイギリス領となったのではなく、自分から願い出たのです。
イギリス領となってから最初は綿花栽培をしたのですがうまくいかず、次に今も続くサトウキビ栽培が始まりました。
そこで、「人に雇われて炎天下必死に粘り強く働く、長続きする立派な労働者」というものが文化としてなかったイータウケイに代わる労働力として、同じくイギリスの植民地だったインドからの移民がスタートしました。
サトウキビ畑の労働者だけでなく、インド系相手の商売を始めるためにインド商人たちもやってきました。今でもフィジーの街の店や会社は経営者も従業員もインド系が多いです。
インドの色々なところからやってきたので、カースト意識は薄れていますが、肌の色が自分より黒いか白いかで同じインド系の人に上下をつけるような発言をする人がいまだにいます。私の目からすると、ほとんど変わらないと思えるのですが。
イータウケイがビジネス経営を始めると、親戚や同じ村の人たちがやって来てツケ買いをしたり、経理や在庫管理がずさんだったりして、大半が失敗に終わります。
もちろん、ちゃんと経営管理しているイータウケイのビジネスオーナーもほんの少数ですがいます。でも、他人種はもとより同胞からも足を引っ張る嫉妬いやがらせなどを受けるので苦労します。
インド系はもともと移民でやって来た上に、土地が自動的にもらえるイータウケイと違い、自分で働かないと食べていけません。ですから労働意欲が高いです。若いインド系は学歴をつけてより良い就職。さらにそこをステップ台に海外再移住していきます。
したたかな面もあります。初めて会った人にまずは質問攻撃、さらにそこで得た情報から値踏みして相手から引き出す。テンポが速い口調の人が多いようです。
「ビジネスで本当のことを正直にいう日本人が信じられない」 「ビジネスはゲーム」 とインド系の方から正直に言われたことが私はあります。
インド系もイータウケイも仕事先に対する忠誠心はありません。信用が置けるような誠実な働き者は同じ職場に長くいますが、スタッフがどんどん変わってしまうほうがはるかに多いです。
今よりいい仕事が見つかると引継ぎをしないまま急に仕事に来なくなってしまったり、不正、特に盗みで仕事を首になったりするのはよくある話です。
フィジーの新聞によく「この人はうちの会社ではもう働いていないので、なにかあっても責任はとりません。」という広告記事が名前と写真付きでよく載っています。大きな会社だと、紙面の4分の1、もしくは2分の1の大きさで載せることがあります。
盗みで首になった人は、労働局に退職金の支払いや不当解雇を求めて訴えにでます。労働局はたとえ盗みで首になった場合でも訴えた労働者の味方につくので、盗んだ人に退職金や福利厚生費を払わなくてはなりません。
人を雇う際の契約書はこの点を踏まえて作らないと雇用主は大変な目にあいます。また、正社員としてではなく、契約社員で雇用しないとたまったものではありません。
【白人】
「白人」は、植民地時代に来て永住し、見た目は白人だけど話す言葉やメンタリティーはイータウケイという人もいれば、ローカルと結婚してビジネスをしている人やリタイアして住んでいる人もいます。
フィジーではインド系もイータウケイも少数派の白人を上に見ているような人が多いです。植民時代のなごりでしょうか。
インド系は白人のことをゴラ(ヒンドゥー語で白)、イータウケイはカイパラギと呼びます。カイとはフィジー語で人という意味です。
白人は一般ローカルよりも立派な家に住んでいることが多いですが、一度私はローカルと結婚してスラムに住んでいる年配のニュージーランド人に会ったことがあります。
【日系人】
余談かもしれませんが、日本人はカイジャパニと呼ばれます。
日本は第二次世界大戦時、フィジー人の兵士とソロモン諸島で戦ったことがありましたが、日本軍はフィジーまで来なかったので、フィジーは戦火に巻き込まれませんでした。
戦後はいろいろな援助を日本政府から受けており、海外青年協力隊の方もフィジーに派遣されていますので、対日感情は良好といえます。
フィジー国籍の日本人の子孫もごく少数ながらいます。戦前からフィジーに移民した日本人は少なく、私が知っているのは1960年代にフィジーで真珠の養殖を始めたトキトウさんや、オバラウ島の魚の冷凍及び缶詰工場で働いていた日本人の子孫たちです。
ただ、混血が進んで、今では容姿に日本人の面影は少なく、日本語もしゃべれない「苗字だけ日系人」になっていっています。
【ポリネシア系とミクロネシア系】
フィジーには、メラネシア系の他にポリネシア系やミクロネシア系住民もいます。
1. ロトゥマ島
ビティレブ島の首都スバから646キロ北にあるロトゥマ(Rotuma)島はフィジー領ですが、もともとポリネシア系住民の島です。646キロというと、東京から孀婦岩(伊豆諸島の青ヶ島や鳥島のさらに先)くらいの距離です。
47平方キロメートルの広さの島で、ビティレブ島との行き来は国内線もしくは大型連絡船です。
ロトゥマンといわれるこの島の人たちは、全部でフィジーに約1万人。現在大半がフィジー本土に移住して、島には約1,600人しか残っていません。
2. ランビ島
バヌアレブ島の東に隣接しているランビ(Rabi)島は、第二次世界大戦後、イギリスによりキリバツ共和国のバナバ島から移住したミクロネシア系住民が住む46.2平方キロメートルの島です。
1900年にイギリスがバナバ島でリン鉱石の掘削を始め、第二次大戦中は一時期日本の統治下になりましたが、終戦後はまたイギリスが島民をランビ島に移住させ、枯渇する1979年まで掘削を続けました。
法やビジネスのやり取りなどが疎いバナバの島人は、ランビ島がロンドンのような栄えた場所だとなかば騙されて島に来たそうです。大国のエゴにふりまわされた島人とその子孫が暮らしています。
ランビの人たちは本島にも仕事や進学のために住んでいます。首都スバのスラムで暮らすランビの人たちを訪問したことがあります。生活は厳しいですが、子だくさん。フレンドリーで明るい人たちでした。
3. キオア島
キオア島はランビ島の南隣り、ランビ島と同じようにバヌアレブ島の東側に隣接しています。キオア(Kioa)島は、ツバルから移住したポリネシア系住民が第二次世界大戦終了後買った島です。
島の大きさはランビ島の半分くらいです。地球の温暖化による海面の上昇で、ツバルから引っ越してくる人の受け入れ島になっています。
Q. 現地の食文化はどのようなものですか?
多民族国家ならではで、食文化の融合が進み、今はだいたいどの家庭でもフィジーに住むほかの人種の料理も作って食べるようになってきています。
都市部は、各国料理のレストラン、フードコートやマクドナルドがあります。ただし、やっぱりインド系はカレー、特に南インド料理を食べることが多いし、イータウケイはシンプルな味付けの料理、カレーなら辛くないものが好きみたいです。
主食は、各種芋、コメ、小麦粉で作ったロティ、パンなどいろいろあります。パンはイギリス統治下の影響でしょうか、ローフやスライスが多いです。
フィジーのパンは、私がイギリスで食べたパンよりもずっとおいしいです。「ホットブレッドキッチン」という焼きたてパンを売る店のチェーンもあります。
30年位前まではインド系は朝にパンなど食べなかったそうですが、今はインド系経営のパン屋が方々にあります。
イータウケイの料理は南太平洋のほかの島国のレポートで書かれているのとほとんど同じです。
魚を水かココナッツミルクで煮て塩で味付けしたり、炭焼きして塩をつけてレモンたらしたりするだけ、とか。
「ロボ」といって地面の穴に石を詰め、その上に薪を焚いて焼き石を作り、その焼き石の熱を利用して芋や肉、野菜などを蒸し焼きにするパーティー料理が有名です。(ほかの国でウムとかルアウとか言われている土蒸し料理とほぼ同じ)
米や小麦粉は日本より安いです。小麦粉を使って、朝食にパンケーキや揚げパン、ココナッツミルクの蒸しパン、ココナッツスコーンなどいろんなものを器用に作る家庭が多いです。
野菜や果物は町の市場や道路わきの出店で売っています。雨が多い暑い時期は野菜の種類が少なく、4月以降から涼しくなると種類が豊富になります。日本と違い、トマトやキャベツなどは涼しいシーズンにならないと売っていません。
飲み物は、どの家庭もフィジー産の砂糖をたっぷりいれたミルクティーを飲みます。私はインド系のお宅にお邪魔した時においしいマサラティーをいただいたことがあります。また、どの人種も甘いジュースもたくさん飲ます。甘くない飲み物は水だけです。
食事の栄養バランスについての教育や考え方は進んでおらず、イータウケイはあまり野菜をとらない様子が、インド系は野菜をとっても脂っぽい料理を好む姿が多く見受けられます。(特に街の安いローカルのファーストフードは脂っこくて、野菜が少ないか全くない料理、砂糖がいっぱいの甘いお菓子ばかり。)
野菜は時期によりふんだんにとれるし、ジャングルには食べられる野菜も生えているのですが、サラダとは何かを知らない人が多いです。
小学校1年生のお子さんを持つローカルのお母さんから聞いた話ですが、保健省から学校で「野菜をもっととりましょう」という啓蒙の授業がなされたそうです。
それをお母さんは「こんな小さな子に言っても分からないから意味ない」と言っていました。子どもの時から食習慣の大切さを理解し、健康的な食事をとることが大事なのですが、そういう概念が親自身ないので、相変わらずの食生活です。親は高血圧、親子共に肥満体質。
イータウケイは、普段は簡単に食事を済ませます。1回の食事はパンやクラッカーにジャムやマーガリンをつけて甘いミルクティーと一緒に食べるだけ、ツナ缶にマーガリンとパンだけ、という人も多いです。
生活習慣(飲食や暑い気候)にも関係しているのでしょうが、肥満、高血圧や虫歯の人が多く、また糖尿病にかかる人の率は世界一です。
日本人がフィジーでホームステイして帰国後、体調がすぐれずに検査したら糖尿病だったというケースがいくつもあるそうです。
Q. 現地の人々はどのような生活習慣や宗教観を持っていますか? 現地特有のマナーなどはありますか?
フィジーの大半のローカル家庭は何らかの宗教をもっています。
人種や宗教は違えども祈りを大切にします。ローカルの家で食前の祈りがあるような時は、たとえ自分に信仰心はなくても敬意をもって静かにしていましょう。祈りが終わるまで食べ始めないでください。
イータウケイ、ポリネシア系やミクロネシア系はキリスト教です。
キリスト教はいろいろな宗派がありますが、一番多いのが早くから布教が始まり、村に浸透して権力をとっていったプロテスタントのメソジスト派です。
そのほか、アセンブリーオブゴッド、セブンスデーアドベンチスト、ペンテコステ派、カトリック、モルモン教、エホバの証人、聖公会、救世軍などがあります。
村の司祭の権威は高く、村人のだれかがもし別の宗派に替わるならば、村や家から追放されることもあります。
日曜日になるといろいろなところで礼拝が行われますが、どこかの教会から枝分かれし自分で独立、家の中庭にブリキのトタンで屋根を張り、礼拝をしている人たちも見受けられます。
スピーカーから聞こえてくる説教や音楽がかなり大きい教会もあります。そうした教会の中には夜間にも礼拝を行う場合がありますので、家選びの際は近所にそうした教会が周りにないかどうかご注意ください。(ヒンドゥー教もかなり音の大きい礼拝を昼夜構わず行います。)
インド系はヒンドゥー教が大半で、その他はイスラム教が多いです。ヒーリングによる病気の治癒や教会からの施しなどの即時利益にひかれてペンテコスト派やアセンブリーオブゴッド、モルモン教などに入信するインド系もいます。
現地特有のマナーの1つは、他人の頭をさわらないことです。可愛い子どもの頭をついついなでたくなりますが、我慢してください。
また、女性は村の中では足、膝や肩、胸を出した服装を避けること。膝の見えない長いスカートや袖がある上着が好ましいとされています。村の入り口でジーンズ姿の女性がさっとスルと言われる布を巻いてスカートにして村に入って行くのを見ます。
最近は肌を露出した格好の女性を街で見かけるようになりましたが、いまだに保守的な考えをもつ方にとっては不愉快となります。また、イスラム教の方にとっても嫌がられる格好です。
また、イータウケイの村では帽子や傘、サングラスの禁止などの注意事項もあるようです。
イータウケイは、村というプライバシーがないような大家族や親族の多い共同コミュニティーで生まれ育った人たちです。
ですから、自分のものは自分のもの。他人のものも自分のもの。他の人のものを借りても返さない、他人のものを勝手に取っていくのはよくあることです。
私も干しておいた衣類がなくなり、誰が盗んだのかなと思ったら、翌日堂々と雇っていた人が盗んだ衣類を着て現れたことがありました。もちろん、街のある店で買ったとしらばっくれていましたが、完全にその人のウエストとサイズが合っていませんでしたし、ジッパー下げて着ていたし、その店では売っているはずがない種類の服だったので、一目で私のものだと分かりました。
フィジー語には、借りるともらうという単語の区別はありません。
人にねだることを「ケレケレ」といいます。まったく罪悪感なく、人に平気でものをねだってきますので、相手のいいなりにならないようにご注意ください。
街中のカフェで新聞読んでいたら、通りすがりの人が新聞頂戴と言ってきたり。(まだ読んでいる最中ですよ。)
誰かに飴を1つ上げたら2つ欲しがる、2つ上げたら3つ欲しがる、のようなところがあります。
反面、いいことだと思うのは、分かち合いの精神です。食料が手に入るとみんなで分かち合います。極端な例ですが、1つしかない飴玉を口で割って分けあったり、1杯しかないジュースを少しずつすすってみんなで飲んだりする子どももいました。
食事中、通りすがりの人に「カナ!」(食べていらっしゃい)と声をかけたりします。実際にお邪魔したら、大概は砂糖入りの紅茶にマーガリンとクラッカーしかないのですが。
道徳観や子どものしつけは日本のそれとかなり違います。
私はだいたい人にものを貸さないようにしていますが、貸したものを返してもらったケースはあまりありません。盗まれたものはもちろん返ってきません。たまに貸したものを返してもらえると、この人はちょっと違うローカルだなあと感心します。
私物の貸し借りには十分注意して、返してもらいたいものは貸さないようにしましょう。
不思議なもので、財布からお金を盗むときは全部ではなく一部盗っていくのがイータウケイ流です。
本当にあった話です。
「日曜日、家のベランダの靴箱から靴が盗まれた。盗んだのは教会帰りのイータウケイで、犯人が捕まったのは、犯人が自分の名前が書いてある聖書を靴箱の上に置き忘れていったからだった。逮捕された後も、ずっと一貫して犯人は犯行を否定し続けた。」
このように、犯人は捕まっても犯行を認めず、言い訳するのが普通です。
デートで日本のようにどこか行楽地やおしゃれなレストランに行けるような金銭的ゆとりがある人は限られます。(インド系の若いカップルはレストランデートしているのを見かけることがあります。)
だいたいの人は親戚の家や実家に相手を連れて行ったりするようです。親戚はあちらこちらにいますし。
責任感のある男性だったらよいのですが、そうでない場合も多いため、イータウケイはシングルマザーが多いです。子どもは親が面倒をみてくれます。その間にまた別の人と交際・結婚するので、異母もしくは異父兄弟姉妹のいる家庭がよくあります。
どの人種も以前より女性1人当たりの産む子どもの数は少なくなってきたとはいえ、まだまだ少子化とはいえません。公立病院では家族計画を教えたり、貧困の子だくさんの女性に避妊手術を勧めたりしていますが、それでもどんどん生んでしまう人がいます。
ヨーロッパ人がやってくるまでアルコールがなかったので、イータウケイは体質的にアルコールに弱く、また「節度を持って飲む、酒を嗜む」という習慣がありません。飲みすぎて酩酊状態になってしまったり、暴力沙汰も起こしたりするので、できるだけローカルのいる場では酒は飲まない、そして彼らに酒を勧めないようにしましょう。
酒ではありませんが、カヴァ(ヤンゴーナ)という胡椒科の木の根を乾燥させて粉末にしたものを布でこして飲む習慣があります。普段の飲料水ではなく、人と集まった時に一つのボールに飲み物をいれてそれをココナッツのカップに注ぎ、回し飲みします。
ござをひいた床に座って、カヴァを飲みながらゆっくりと、時には何時間もおしゃべりしながら過ごすのがとても好きな人が多いです。
気候
Q. 現地はどのような気候ですか? 健康維持のために気を付けるべきことはありますか?
フィジーは熱帯海洋性気候です。大きく分けると、雨季と乾季があります。
雨季は12月頭から4月頭までで、ハリケーンや熱帯低気圧が来る可能性があるもっとも暑い時期。雨季といってもこの時期ずっと降り続くわけではありません。気温は30-34度くらいになります。
日本は毎年必ずと言っていいくらい台風が上陸しますが、フィジーは一つも上陸しない年もあります。
ただし、近年はサイクロンが多く、またサイズがカテゴリー4,5と強くなり、2020年はカテゴリー5の巨大サイクロンが二つも上陸しています。日本に上陸する台風と比べてずっと強いスーパーサイクロンなので、甚大な被害がでます。
また、自分の家は大丈夫でも、停電や断水が何日も、大きな台風が直撃すると地区により停電が1か月以上続きますので、十分な備えが必要です。
私は小型発電機を備え、家には貯水タンクと水の引き上げ用ポンプをつけています。また、台風でなくても熱帯低気圧により、大雨や洪水が起きることがありますので注意が必要です。
乾季は4月中旬から11月までです。
フィジーは赤道の下、南半球なので、日本と暑い時期が逆になり、7,8月が一番涼しく、南風が強く吹くと夜間の気温は18~22℃くらいまで下がります。
晴れた日は昼間の気温が30度くらいに上がりますが、湿度が低いので日陰は涼しく、日本の夏の高原の避暑地のような快適な気候です。
この時期、寒がりのローカルは夜間、毛糸の帽子にスキーに行くようなジャケットやセーターを着ています。
乾季や雨季といった気候の違いに加えて、フィジーはビティレブ島の西部と東部で気候が全く異なります。
フィジーはすべての季節で南東、もしくは東から貿易風が吹く日が多いですが、風が島の東部にあたり、雨を降らせ、残った乾燥した風が島の西部に吹きます。そこで、首都スバのある島の東部は乾季でも雨が降り、島の西部では少ないのです。
乾季になると西部は1か月に1度雨が降るか降らないかという程度になり、また年によっては何か月も日照りが続きます。
観光客にとっては晴れた方がいいので、晴れが続くのはうれしいことでしょう。乾季が始まると、ビティレブ島の西部やバヌアレブ島の北部のランバサ周辺でサトウキビの刈り取りシーズンがスタートします。
フィジー沿岸部は貿易風のおかげで心地よい気候の日が多いのも魅力のひとつです。
Q. 現地特有の風土病はありますか? 健康維持のために役立つ対処方法はありますか?
フィジーにマラリアはありませんが、雨季には蚊を媒体とするデング熱、衛生環境の悪い田舎の村などで腸チフスになることがあります。
雨の多い地域では、川や田畑、牧草地のぬかるみを裸足で歩くことにより、レプトスピラ症にかかるローカルがごくまれにいます。感染すると高い確率で早い時期に死亡します。足は清潔に保ち、裸足を避けましょう。外国人で感染したという話を聞いたことはありませんが、そういう場所に行かれる方は長靴を履くようにしてください。
衛生環境を整えること、蚊に刺されないようにすることが大切です。
蚊に刺されたり、ちょっとした傷口が化膿したりすると熱帯性潰瘍になることがありますので、傷口が少し熱を持ってきたら直ぐに抗生物質の軟膏を塗ってください。
また、風土病ではありませんが、注意できる点を書いておきます。
・暑さによる脱水症状を防ぐために清潔な水をたくさん飲む。水は常温で飲む。冷たい水は風邪の原因となり喉を傷めるので避ける。
・暑い時期はあせもができがちなので、朝晩シャワーを浴びる。肌のあせもができやすい関節部や腰、首回りなどにクーリングパウダーをつけたりして予防する。
・帽子や日焼け止めクリームなど日焼けを防ぐ対策をしっかりする。冬の日本から来たばかりだと室内でも日焼けします。
・水でお腹を下さないように、水道水は直接飲まない。水は買うか、フィルターを通してきれいにしてから飲む。(町のホームセンターなどに浄水器は売っています。)
・食生活に気を付ける。野菜や果物をたくさんとる。
・足が冷えないように、家の中では草履等のうち履きをはく。(タイル張りの家が多いので。)
・具合が悪くなったら、週末にならない内にすぐ医者にかかる。(週末は休む医者が多いので。)
言語
Q. 現地の人々はどのような言語を用いていますか? 外国人にとって、現地の言語を学ぶ際に、どんなハードルがありますか?
フィジーは学校教育のほとんどが英語で行われるため、ほとんどの人たちが英語を話します。また、バイリンガルやトリリンガルが普通です。
家庭内では自分の人種の言葉を話す家庭が大半です。混血人種や異人種間結婚の場合、家庭内でも英語を使います。現在英語を話せないのは、英語が家庭内の言葉でない就学前の子どもや限られた高齢者くらいです。
流ちょうにしゃべれても読むのは苦手、という人もいます。英語が共通語なので、英語ができればフィジーの現地人とコミュニケーションがとれるといっていいでしょう。
ただし、できれば相手の言語、イータウケイのフィジー語、もしくはインド系のヒンディー語などを知っておくとお互いの距離が縮まります。なお、ヒンディー語は話せても読み書きできない人も多いです。
一部のウェブサイトで、「フィジーの英語はイギリス英語。フィジー教育省のイギリス人が監修した教材を使う」ようなことが書かれているのを見たことがありますが、まったくそのようなことはありません。実際私はフィジー教育省に何度も行ったことがありますが、その時に会ったのはローカルと日本人の年配の男性1人だけでした。
英語の発音は人それぞれですが、イータウケイはRの発音が強く、ネイティブ英語の方に比べると割とはっきりゆっくりしゃべります。インド系はヒンディー語なまりがある方もいれば、テレビのアナウンサーのようにきれいな発音の方もいます。
フィジーに英語留学にきた日本人の中には「ネイティブ英語の方だと手加減しないからスピードが速いけれど、ローカルは英語が苦手な日本人に合わせてゆっくりしゃべってくれるし、お互いに英語を学んでしゃべれるようになってきたという過程がいっしょだから話しやすい。」という意見もあります。
ただ、フィジーの英語留学は初心者向けです。英語中上級者にはフィジーの英語では物足りないようです。
生活
Q. 現地の人々の生活水準はどうですか?
フィジーは途上国の中でも中程度の所得国で、周辺島国と比べると収入が高い国になっています。
とはいっても、就職先は少なく、無職、もしくは農業で食べつないでいる人も少なくありません。
【貧困層】
1日の収入が5.5アメリカドル以下の貧困層は35.8%、隣国サモアや南米コロンビアと同じくらいの水準です。公立学校に通う子どもの3人に1人以上が貧困層、ということです。
そのため、日本の家と比べると、掘っ立て小屋のように見える所で暮らしている人たちがたくさんいます。
ただし、地震や冬がないので、家は日本よりずっと廉価で建てることができますし、土地も高級住宅地でなければかなり安いです。ですから、家はぼろぼろだけれど、庭や畑は広い、というお宅がいっぱいあります。
収入が低くても子だくさん、もしくは家族や親せきがたくさん居候している家はよくあり、そういうお宅はみんな床に雑魚寝しながら暮らしています。
低所得者の家は木造やブリキが多いですが、以前、屋根だけで壁のない、雨の時はブルーシートを下すだけ、というお宅を訪問したこともありました。
清潔感は日本のそれとはかなり異なりますが、一般的にインド系のほうが貧しくてもきちんと掃除や整頓がされ、庭も花を植えたりきれいにしたりされているようです。
外国人の目から見ると「こんなぼろい家でかわいそう」と思うでしょうが、援助したら相手の心や生活がくるってしまった、ということがないようにご注意ください。
今までずっとこういう暮らしだったのに、急によくなったらとまどいますし、すれてしまったり、余計なことに散財してしまったりします。ちなみに外国人は皆お金持ちだと思われています。
「宵越しの金は持たない」ということわざのように、もらったらすぐにパーッと散財しておしまいになってしまいます。
自分の土地や村にのんびり暮らしているイータウケイは一見貧しいように見えるけれど、一年中食べ物の取れる土地はあるし、家のローンに追われることもなく、実は世界一豊か。今の生活で十分、という人が多いのです。
【中間層】
貧困層までいかなくてもぜいたくな生活はできないのが中間層です。
都市部で働いていたり、田舎で農業を営んでいたりと様々ですが、子どもを公立高校までか、頑張って専門課程や大学まで通わせる人が多いです。都市部に住んでいる人は、家はローンか親の持ち家。
家電製品は冷蔵庫や洗濯機、電子レンジ、テレビなど一応ベーシックなものが揃っています。
家族揃ってレストランで外食するようなゆとりはあまりありませんが、週末ビーチにピクニックに行ったり、親せきの家を訪ねたりします。親族の誰かしらが海外に移住しています。
【お金持ち】
インド系や白人の会社経営者や大企業の上級幹部など。
高級住宅地のエアコンやプールのあるコンクリート造りの広いお宅に住み、メイドを雇っています。
子どもはインターナショナルスクールか、海外の学校へ。コネを使って安く国内リゾートを利用します。休暇は海外に行きます。
一見優雅に見える暮らしですが、フィジーでビジネスをうまくやっていくのは大変なことです。政府やほかのビジネスマンとの折衝に加えて、たくさんの人(なかには一癖も二癖もある人がいるかもしれない)を雇うというのは苦労が絶えないことと思います。
フィジーにはインド系の財閥がいくつもあります。
Q. 現地の人々の教育水準はどうですか?
幼稚園から高校まで公立や私立の教育機関が方々にあります。
ローカルの子が行く公立の学校は、ほとんど無料もしくは完全無料ですが、ノート代、制服代、教科書代などがかかります。制服は日本のように高くありません。生地を買って手作りする親もいます。
田舎のイータウケイは途中で学校に来なくなり、親も中退で農業従事だから子どもに特に強制して学校に行かせようとせず、そのままになってしまうことがあります。
市街地に暮らす子どものほとんどは高校を卒業するまで通います。
フィジーは中学高校になると宿題が多く、またノートをとる量が多く、しっかり勉強させられます。
大学や職業訓練校に進学する人も多いです。フィジーの大学にはサモアやトンガ、ソロモン諸島、バヌアツといった周辺国からも留学生が来ています。
優秀な学生はフィジーの高校卒業後、奨学金でオーストラリアやニュージーランドの大学に進む場合もあります。
また、大学や専門学校卒業後、職歴を何年かつけてから、オーストラリア政府支援のAPTC(オーストラリアパシフィック テクニカルカレッジ)という職業訓練校に進み、そのまま海外移住する人もいます。フィジーでは優秀な人はどんどん海外移住してしまいます。
学費の高いインターナショナルスクールや一部の私立校は先進国並みのレベルです。インターナショナルスクールの国際バカロレアコースを修了して海外留学する子もいます。
公立学校は1クラスの生徒数が多いため、小学校低学年から予習復習を親がフォローしないと、読み書きがあまりうまくできないまま取り残されてしまう場合もあります。またそういった家庭は親自身があまり読み書きできない場合が多いです。負の連鎖です。
英語の授業が主ですが、ヒンディー語かフィジー語を学ぶ授業も少しあります。また、学校によっては、インド系の子が多いヒンドゥー教系の学校かイータウケイの子が多い学校に分かれ、どちらかの言語がより多く話されたり、教えられたりしています。
インド系の人でもイータウケイの言葉が、イータウケイの人でもヒンディー語がうまい人が時々いますが、それはその人が通った学校がどちらかの言語をより多く教えていたからです。
Q. 現地の治安水準はどうですか? 外国人が特に気を付けるべきことはありますか?
日本にあるような複雑な犯罪、精神を病んだ人が起こす犯罪、それから刑事や探偵の謎解きが必要な犯罪は聞きませんが、単純犯罪、窃盗、そしてレイプは多いです。
そのため、商店や多くの家は窓に鉄格子がついています。どこにいても泥棒にご注意ください。盗まれたら一生後悔するような大切なもの、高価なものはフィジーには持って来ないでください。
フィジーではシンプルに暮らすようにしましょう。
夜間の徒歩の外出、日中でも人気のない場所の一人歩きは絶対にしないこと。警察は呼んでも「車がないからすぐに来られない」場合があります。
夜間、車での外出だから大丈夫と思っていても、家に帰って来たら空き巣にやられていたり、家のゲートを開ける最中に襲われたりということもあります。
家選びは治安面から地区を選び、一軒家の一人暮らしを避け、鉄格子のある集合住宅や大家などすぐ近くに信頼できる人がいるところをお勧めします。たとえ、警備員がいても警備員自身が泥棒になったり、夜警なのに寝てしまったりすることもありますので、番犬を買う方が多いです。
また、どこに行ってもご自身が危ない行動をされないように。フィジーに来るまで、そして到着後しばらくは緊張していたけれど、だんだん慣れて自信がついても油断しないでください。
例えば、貴重品の置き忘れによる盗難。
また、対人関係にご注意ください。現地人はフレンドリーなのでついつい最初から心を許しがちな時もありますが、最初からあまりに自分をオープンにするのは避けましょう。
生まれ育った中で身に付けた習慣や考え方がいいと思って、外国人もそうだと勝手に思い、押し付けて感化させようとするローカルがいるかもしれません。
恋愛はもちろん自由ですが、意思表示はしっかりと。あいまいな態度は理解されませんし、責任ある行動をとりましょう。
若い日本人女性が現地人男性からナンパされるという話はよく聞きます。過去にナイトクラブで知り合った男性と夜のビーチに行き、殺された事件がありました。
フィジーの法律に触れる行動、マリファナやドラッグを買わない、誘われてもきっぱりと断る、悪い影響を与える人と付き合わない、異性とふたりっきりになる場面を避ける、いざとなったら大声で叫ぶ、など。
また、政治に関与した発言は逮捕される危険があります。控えるようにしましょう。ビザでフィジーに滞在する外国人は政治に関与することが禁じられています。
また、日本にいたら知らない人をすぐに信用して仲良くなるようなことはないかもしれませんが、海外だと同じ日本人というだけですぐに信用しがちになり、仲良くなりたくなるかもしれません。
周りに日本人がいない地区に住んでいて、誰かから「隣の地区に別の日本人がいる!」と聞かされたら会いに行きたくなるかもしれません。
ところが、その人が悪いローカルと付き合っていたり、商売目的だったりすることもあります。嘘でだまされることもあります。日本人のなかには日本に居づらくなって海外に流れてきたような人もいます。ご注意ください。
コロナが始まってからフィジーは夜間外出禁止の戒厳令が引かれています。戒厳令が始まる時間帯は時々変わります。デルタ株で感染者が増えた今は夜6時から朝4時までです。
日本と違い、マスクの着用や外出禁止時間帯の外出への法的強制力が強く、違反したら罰金か、留置所送りになります。
Q. 現地の住居や住環境の様子どうですか?
外国人でも安心して住むには、以下の点に注意したほうがいいです。
・治安のよい地域を選ぶ
・近隣の様子(隣近所の住民に問題がないか、教会や寺院の騒音がひどくないか)
・窓に頑丈な鉄格子がついていること
・洪水時に冠水したことがないエリア
・大家がちゃんとケアしてくれる
・貯水タンクとポンプ付き
・塀やフェンス、ゲートがしっかりしている 過去に泥棒に入られた経歴があるかないか
また、契約書を何度もしっかり読んで、直してもらいたい箇所があったら妥協せず大家に申し出ましょう。
家賃は地域や条件(家具電化製品付きかどうか、部屋数やプールの有無など)により異なります。都市部の中心部はもちろん高めです。
私が住んでいた家を例としてあげます。両方とも、コンクリート造り、鉄格子付き、フェンス付きです。
1. 3ベットルーム(1マスターベットルーム)、家具冷蔵庫とキッチンのガスストーブとオーブン付き、エアコンなしで、月1000フィジードル(日本円で約5万円)。
海の近くで貿易風が吹くので、エアコンが欲しいのは1年のうち約3か月の暑い時期だけ。その暑い時期をエアコンなしで乗り切るために各寝室に大きな扇風機を買ってきて使って寝たりしていました(それでもやはり暑い)。 時々暑気払いに近所のビーチやプールに行って体をクールダウンさせ、しのいでいました。暑い時期以外は快適な家でした。
2. 3ベットルーム(2マスターベットルーム) プール、家具すべての家電付き すべての寝室とリビングにエアコン付きで、月2000フィジードル(日本円で約10万円)。
上記は郊外で、首都スバよりもずっと安い賃料です。スバにいくとこの何倍もするようです。
日本だとプール付きというのは憧れかもしれませんが、②のプール付きに住んでいたのは、手の届く家賃の家がここしか空いていなかったからです。
プールは掃除したり、プール用の薬品が必要だったりして、維持費がかかります。また、涼しい乾季の間、プールサイドの寝室は寒かったです。
プールをよく使う方以外、プール付き物件はお勧めしません。近所のリゾートホテルやビーチで泳ぐほうがよかったです。家賃の安い①の家が空いたので、②から引っ越しました。
また、庭がある場合は誰が芝刈りをするのか、大家と話し合ってください。フィジーは広い庭がある家が多いです。シーズンによりますが、雨の多い地方のほうが当然芝や雑草がすぐに伸びます。
私は家族で住んでいたので上記のような家でしたが、単身で来られる方は、
・2階建ての建物の1階もしくは2階。(別の階に大家か、別の方が住んでいる)
・集合住宅(アパート)
・ホームステイ(長逗留はお勧めしません)
・リゾートや民宿の1部屋を交渉して安くしてもらう
が選択肢として考えられると思います。
Q. 現地の生活インフラ(水道・電気・ガス・インターネット)はどの程度整っていますか?
水道は市街地にはありますが、地区や時期により断水が多いです。そのため、貯水タンクとポンプを備え付けている民家が多いです。
水道の水は日本の援助により飲めるレベルまで浄化されている地方もありますが、地方によっては、また雨季の大雨の際などは、水道から茶色い水が出てきます。私は浄水器をホームセンター(こちらでは hardware shop と言います)で買って使っています。
電気は市街地や郊外の住宅まで通っていますが、山間部や離島は発電機やソーラーが必要となります。
ベンガ島という離島にいったとき、日本の海外援助で立派なソーラーを備えた村がいくつもありました。
フィジーの電圧やコンセントの形状はオーストラリアやニュージーランドと同じで、240Vです。時々、サージといって電圧が上がったり下がったりして家電製品に負荷がかかることがあり、場合によっては壊れてしまいますので、家電製品には必ずサージアダプターをつけましょう。特に停電の前後はサージが発生します。
ガスはプロパンのボンベを店で買って使います。ボンベはガソリンスタンド、スーパーマーケット、住宅地の小さな雑貨屋など、身近なところで売っています。
前もってガス会社に電話すれば、配達トラックが自分のいる地区に来た時に(即日配達はできない)家まで届けてくれます。
調理にはガスのほか、薪やケラシンオイルのストーブを使う人もいます。ケラシンオイルは煙が体によくありませんし、料理自体にケラシンオイルの匂いがつくのでお勧めしません。
電話は現在、固定電話回線が都市中央部以外はなく、携帯電話が主流です。貧困層でも携帯電話を持っている人が多いです。いまだにガラケーを使う人もいます。
携帯電話会社2社(Vodafone, Digicel)のインターネットが主流です。
フィジーのおしゃべり好きな人は、安いキャンペーン時間帯を使って、国内遠方はもとより海外の家族や親せきなどとのおしゃべりを楽しんでいます。
都市中央部ではその他に電話会社の connect というインターネットもあります。20年くらい前にフィジーにインターネットが普及し始めた時は connect しかなく、しょっちゅう disconnect になっていましたが、今は大分よくなったようです。
インターネットの速度は場所により異なりますが、スムーズなところでは Zoom や Youtube が途切れなくスムーズに見られます。
フィジーのどの地区がネットワークでカバーされているのかは、インターネット各社のウェブサイトをご覧になり、どちらの携帯電話会社を選択する際の参考になさってください。
私は Vodafone と Digicel の番号のどちらにも電話しやすいように、また相手からもかかってきやすいようにインターネットで使うスマホは1社ですが、そのほか2つのシムが入る安いガラケー(dual sim)を持っています。
フィジーの近隣の島国よりはインターネットのスピードが速いと言われています。
携帯電話本体は、iPhoneが非常に高いので、サムソンや中国製を使っている人が多いです。
電話代はプリペイドが主流で、プリペイドカードは町のいたるところで売っているほか、オンラインでも購入できます。
Q. 現地のレストランやファーストフード店、露店など食品を扱う店の衛生状態はどうですか?
衛生状態は店によって異なりますが、きれいな店は保健所のAAAのサインを掲げていますので目安になります。
ナンディやスバといった市街地にはきれいなレストランやカフェ、ファーストフード店はたくさんあります。マクドナルド、バーガーキング、中華料理、韓国料理、洋食、日本食など。
例えば、スバで人気の手打ち中華そば屋(注文を受けてから麺をあっという間に伸ばして作る)の従業員は頭にキャップをつけて髪の毛をカバーし、さらにフェイスシールドをつけて清潔にしています。
露店の食品はどこで作ったのか不確かですし、ケラシンオイルを使ったストーブで料理したものはケラシンの匂いがするのでご注意ください。
道路わきやバスステーションにはBBQやジュース、インドのスナックを売るスタンドもたくさんあります。いずれも保健所のサインはありません。
Q. 生活に必要な安全な飲用水はどのように調達しますか?
水道水をホームセンターで買った浄水器でろ過してから飲んでいます。
外出時に出先でペットボトルに入った水を購入することもあります。
フィジーはアメリカなどで有名な「フィジーウォーター」が作られています。そのほかにもいろいろなローカルブランドの飲料水が売られています。
Q. 現地の交通事情や交通機関の様子はどうですか?
市街地はローカルバスや乗り合いバン(ミニバスと呼ばれています)、長距離の移動はエアコン付きの割ときれいなエクスプレスバスか、乗り合いバンが一般的です。
市街地はタクシーが過剰といえるほどたくさんあります。タクシー代、バスやバン代は日本に比べてずっと廉価です。
田舎ではタクシーの他に、大型や小型の幌付きトラックも荷台に人や物を載せて走っています。
ローカルバスは時刻表がどこにも張っていないので、地元の人に運行スケジュールを聞いてください。バスルートに住んでいる人は皆知っているから特に張り出していないようです。
ローカルバスはフィジータイムですから、早く来る時も遅く来る時もあります。ご注意ください。
最終バスがその日の運行を終えると、バス会社の車庫に戻る場合もありますが、バス運転手の家に駐車して、そのまま翌日の朝はそこから運行スタート、ということもあります。民家の庭先に大型バスが止まっているのはそういうわけなのです。
ほとんどのローカルバスはガタガタで古いです。
窓がなく、雨が降り出すと、窓の上にすだれのように巻いてあるグリーンのビニールシートを乗客がみんなで降ろしてカバーにします。
降りたい時にブザーを押すのではなく、ひもを引っ張ってチリンとベルを鳴らすタイプが主流です。ローカルバスは音楽やラジオをガンガンにかけて走っています。
バス料金の支払いについてですが、以前は現金支払いでしたが、近年はローカル路線も長距離もプリペイドカード払いになりました。乗車の際にカードを運転手の座っている左横のセンサーにタッチ、下車の際は再度タッチします。
バスのカードは Vodafone の店や郵便局、バスステーションの売り場などで購入します。プリペイドカードは事前に購入しておかなければ乗車を断られる場合がありますのでご注意ください。
Q. 現地の医療水準はどうですか? 医療費は高額ですか?
普通だと思いますが、複雑な難病レベル以外の軽い病気やケガなら別にフィジーの個人医(private clinic)で十分かなと思います。
病気になったら、まず公立病院に行くのではなく、個人医に行ってください。診療代ですが、最近、私立のクリニックに処方箋をもらいに行ったら、25フィジードル(日本円で1,500円くらい、薬代は別途)取られました。私は保険に入っていませんが、海外保険に入っている方は保険適用になると思います。
医療費はスバのプライベートホスピタルだとかなり高額になりますが、外国人やローカルでも保険適用者しか行かないようです。
難しい医療はオーストラリアかニュージーランドに行くことになります。
歯科は、スバだときれいな韓国系歯科や矯正歯科もありますが、日本で保険を使わないで歯科に行くくらい高額となります。ローカルの歯医者に行くとすぐに虫歯を抜かれたり、前歯に金を詰められたりします。
執筆者:ブラウンジンジャー
執筆年月:2021年7月